海苔に命を懸けた男の一代記
わが海苔人生
喜んで後継ぐ商売に
だから、問屋にしても小売屋にしても、倅が後を継ぎたがらないような魅力のない商売になってしまうのだ。このように海苔屋が増えて、そのみんなが儲からない。私は小僧の頃から海苔屋になったのだが、独立してからは、「こんな良い商売があるものか」という気持ちで今日までやって来た。それが今はどうだろうか。東京組合の方々を見ても、自分一代限りで海苔屋は終わりだと大半の方が思っているのではないだろうか。息子たちに安心して後を継がせるといい切れる店が何軒あるだろうか。
お爺ちゃんやお父さんの築いた財産があるから、辛うじて惰性で商売を続けているところが殆どではなかろうか、先代、先々代が買っておいた土地の地価が上がり、それを売って商売を続けているところも結構多い。遊んでいても仕様がないからといって商売をしているわけだ。このようなことではダメだと思う。また、息子は辛うじて店を継いだけれども、孫はダメという海苔屋さんが如何に多いことか。海苔屋が魅力ある商売ではなくなってしまったということだと思う。
戦後四十五年経ったが、最初の五年間は統制やその名残りの時代だから除くとして、次の四十年の間に海苔商いの魅力は失われてしまった。その戦後でも、囲えば必ず儲かった時代もあったし、韓国海苔にしても、扱えば必ずといっていいほど利益に繋がったものだ。それなのに、昨今は百億枚だ、百何億枚だ、などというからおかしくなってしまったのだ。その辺を良く考えなくてはいけない。生産者だって良いはずがない。最新式の量産設備にしても低金利の融資があるからこそ出来ることで、自分たちの力だけであのような設備が出来るわけがない。
漁連の中央部にも指導力が欠けていると思う。毎年のように生産調整を打ち出してはいるが、守られたためしがない。生産者が少しもいうことを聞かない。ただたくさん取れたといって喜んでいるだけだ。それも、良い海苔ばかりなら良いが、決してそうではないのだから始末が悪い。問屋も反省し、改善しなければならない点が多々あるけれど、生産者も海苔産業全体のために、もう少し考えて欲しいと思う。
海苔だけではないが、とにかく良いものだけを供給すれば良いのだ。良い海苔だけを七十億ないし七十五億枚程度採ることだ。このことは百%不可能だとは思わない。一度には出来ないかも知れないが、生販が本気になって協力し、英知を集めて業界の将来を考え、果断をもって事に当たれば、決して不可能なことではないし、私は是非そうしなければならないと思う。一遍、七十億なり七十五億なりの線まで生産を落とし、その後、実需に合わせて増産していく、これが正しい行き方ではないだろうか。このままでは、いずれは生販共倒れになってしまう。要は生販双方が自覚し、協調して良い方向へ歩み出すことこそ緊急の課題ではないだろうか。
問屋にしても、売れる当てのないものに札を入れる。もう、仲間売りの商売で儲けようという時代ではない。生産量が七十億枚以下の時代なら、それも通じたかも知れないが、今のようにたくさん採れる時代に、安く買ったから儲かるだろうというような考えは通用しない。今は「だろう」が通用しない時代だ。近代的な経営感覚に基づいた確信がなければダメな時代なのだから……。